それについて祈ってはみたんだけど、、(でも祈りのベールを始める確信がない)

何年も前になりますが、私はあるティーンの男の子から手紙をもらいました。「最近、ガールフレンドと体の関係を持ちました」と。彼はそれ以前に、この事(体の関係を始めるべきか否か)について真剣に考え、祈ることにしたそうです。
ギデオンのように彼は主に「御心を僕にはっきりお示しください。」と祈り、こう言いました。「主よ、もし今晩、彼女が家に来たら、あなたが僕たちの体の関係をOKと思ってくださっていると受け止めます。でも、もし彼女が来なかったら、僕は、あなたがそれに反対しておられると解釈することにします。」
その晩、彼女から「家に来てもいい?」という電話があり、結局、この十代の男の子は「これが祈りの答えだ!」という偽りのゴーサイン(安心感)の下、彼女と体の関係を持ってしまったのです。
もちろんこれは極端な(でも実際に起こった)例ですが、私たちの多くは、何かに対する神の御心を求める時に、彼のような方法を使っているのではないでしょうか。この記事で私は、――もし聖書の中で直接的かつ明確な指示が与えられているなら――私たちは「祈りによって」自分の身の振り方を決めるべきではない、ということを示そうと思います。
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