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祈りのベールの証し:イリナ・グラツコヴァ(Irina Glazkova)

Head Covering Testimonies

名前:イリナ・グラツコヴァ
年齢:25歳
所:カナダ、NL州セイント・ジョンズ
祈りのベールをつけ始めた時期:2010年10月

Covering Testimony: Irina Glazkova

1) 読者のみなさんに少し自己紹介してください。

こんにちは。私の名前はイリナ・グラツコヴァで私は独身のクリスチャン女性です。私はロシアから来ました。カナダには2007年9月より在住しています。それ以前には交換留学生として11カ月米国に住んでいました。私は多くの思想探究の旅を続けた末、12歳の時、主イエス様を救い主として心に受け入れました。

私は生まれつき身体に障害があり、これまで7回手術を受けてきました。自分が身体障害者だということで、子ども時代から10代にかけ、私は深刻ないじめに遭ってきました。

私が生まれた時、病棟の医者たちは母に、「この子を病院に置いていかれたらどうですか。ひどく病弱ですし、それに身体的にいくつもの欠陥があります」と説得しました。

悲しいことに、これはロシアおよび旧ソ連諸国では普通に行なわれていることなのです。でも母はそれを拒みました。そして母は多くの犠牲を払って私を育ててくれました。私の最大の夢は、自分の家族が救いに導かれることです。

深刻ないじめに遭ってきたと書きましたが、このいじめの体験は、私を真理探究に向かわせました。この世に正義が存在しないということが私にはどうしても受け入れられませんでした。私は母と連れだってロシア正教会に通っていました。でも、聖人に祈ったり、イコン等の前にひざまずいたりすることに葛藤を覚えていました。

交換留学生として米国に滞在していた時、私はバプテスト教会の牧師家庭にホームステイしていました。そしてそこで私の信仰は成長し始めたのです。その時、私は17歳でした。

米国滞在後、カナダの大学に進学することを私は考え始めていました。ちょうどその頃、息子さんの卒業式に出席するため、現在私が通っている教会(フェイス・バイブル・チャペル)から一人の婦人が米国にやって来られました。

さらにニューファウンド記念大学から入学許可および奨学金をいただくことができました。
こうして主は私をここニューファウンドランドに導いてくださったのです。私はハイキングや散策、小物作り、読むこと、書くこと、歌うことが好きです。いろいろな形の雲をみるのも好きです。

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それについて祈ってはみたんだけど、、(でも祈りのベールを始める確信がない)

I Prayed About it (And I Don't Feel Convicted to Cover)

何年も前になりますが、私はあるティーンの男の子から手紙をもらいました。「最近、ガールフレンドと体の関係を持ちました」と。彼はそれ以前に、この事(体の関係を始めるべきか否か)について真剣に考え、祈ることにしたそうです。

ギデオンのように彼は主に「御心を僕にはっきりお示しください。」と祈り、こう言いました。「主よ、もし今晩、彼女が家に来たら、あなたが僕たちの体の関係をOKと思ってくださっていると受け止めます。でも、もし彼女が来なかったら、僕は、あなたがそれに反対しておられると解釈することにします。」

その晩、彼女から「家に来てもいい?」という電話があり、結局、この十代の男の子は「これが祈りの答えだ!」という偽りのゴーサイン(安心感)の下、彼女と体の関係を持ってしまったのです。

もちろんこれは極端な(でも実際に起こった)例ですが、私たちの多くは、何かに対する神の御心を求める時に、彼のような方法を使っているのではないでしょうか。この記事で私は、――もし聖書の中で直接的かつ明確な指示が与えられているなら――私たちは「祈りによって」自分の身の振り方を決めるべきではない、ということを示そうと思います。

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祈りのベールの証し:マルスィア・リンコン

Head Covering Testimonies

名前:マルスィア・リンコン

年齢:20歳

国:南米コロンビア

祈りのベールを始めた時期:2014年12月

Covering Testimony: Marcia Rincón

1)読者のみなさんに自己紹介してください。

私は妻であり、パート・タイムで働く教師です。十歳の時、キリストを自分の救い主として主として心に受け入れました。兄が私をキリストに導いてくれました。私は聖別された人生を送ろうと探求している若い女性であり、キリスト・イエスにある永遠のいのちの希望のうちに日々の生活を送っている者です。そして主のために生きたいと望んでいます。私は教師ではありますが、実際には、私は家庭に献身しており、また夫に仕えています。

2)どこの教会に通っていらっしゃいますか。教会の他の方々も祈りのベールを実践しておられますか。

主人と私は長年、ブラザレンの教会に通っていましたが、引っ越しして以来、良い教会を見つけることができずにいました。それで私たちは毎週日曜日、隣の市に遠出し、そこにあるエマオ・バイブル・チャーチというブラザレン教会に通っています。この教会ではほぼすべての姉妹が祈りのベールを着用しています。 Read more

被り物:痛みと特権

Head Coverings: The Pain and the Privilege

〔ゲスト投稿:この記事はカールトン・マックレオド師によって書かれたものです。Head Covering Movementにゲスト投稿を考えておられる方は、contact usにご連絡ください。〕

Carlton Mcleod

カールトン・マクレオド師はサウスカロライナ州コロンビア生まれで、メリーランド州のアッパー・マルボーロで育ちました。1987年、マクレオド師は米国海軍に入隊、03レベルまで昇格しましたが、主はその後、彼を教会におけるフルタイムの働きに導かれました。1997年、マクレオド師と妻のドンナさんはカルバリー・リバイバル教会(Calvary Revival Church Chesapeake)を開拓しました。

マクレオド博士は、聖書的な世界観を追及し、それを教えています。牧会の初期、師はあらゆる世的な方法論を駆使して、暗闇に住む若者たちを更生させようと努力しましたが、実は生らず、主は「聖書に徹底的に立ち返るよう」彼を促しました。こうして御霊に導かれた聖書的(家族単位の)弟子育成の必要性に気づかされたマクレオド師は、D6 Reformationという働きを始めるよう導かれたのです。マクレオド師は、ハンプトン大学で学士を取得後、アンダーソンビル神学大学にて修士および博士号を取得しました。師とドンナさんは1992年に結婚。お二人の間には一男二女(ジョナサン、ドリー、アルヤナ)がいます。

2013年1月、私は第一コリント人への手紙を講解説教するよう、主の導きを受けました。この書簡の内容を思うと、私は血気立つ一方、不安にもなりました。なぜでしょう。というのも、この書簡の中には、私たちが従うようにと主に求められている内容が多々包含されているからです。  Read more

牧師の証し:ロビン・バッサム師

Pastoral Testimonies

Pastor Robin Bassam

1) こんにちは。ご自身のこと、それから牧会しておられる教会のことについて、少しお話くださいますか。

ロビン・バッサムと申します。英国のロンドン生まれです。1970年、25歳の時ですが、私は福音自由教会でイエス・キリストを信じ救われました。1974年、私はノルウェーの地で主に仕えるよう、主からの召命を受けました。

1983年にノルウェーに来て以来、私は長年にわたり、ノルウェー北部の地で主に仕えてきました。七年前に、私たちは開拓を始め、Trondheim International Churchが誕生しました。この教会は英語による、無教派の教会です。

12名の同志と共に開拓を始めましたが、現在は35名から40名ほどの信者が集まるようになっています。メンバーの国籍もイギリス、ノルウェー、カナダ、ルーマニア、ウクライナ、ベトナム、シンガポール、ガーナ、フィリピンと多岐にわたっています。

2) どのような経緯で「祈りのベールは今日にも適用されるべき不変のシンボルである」ということを確信されるに至ったのですか。

救われた当時通っていた福音自由教会は、神学的にはカルヴァン主義の改革派教会でした。そこの牧師は被り物が今日にも尊守されるべき掟であることを信じており、教会に集う女性たちの約半数が被り物(主として帽子)を被っていました。最初牧会した4、5の教会においては、比較的多くの女性がベールを着けていました。しかしその後私が牧会した教会では一つとして被り物の実践はなされていませんでした。

エリム聖書大学(英国におけるペンテコステ系の聖書学校)で私は一度、1コリント11章の祈りのベールの今日性を問うディベートに参加したのですが、気が付くと私は被り物を擁護する側に立っていました。しかしその時には、被り物のこと自体を擁護していたのではなく、ただ「被り物をしたい女性がいるとしたら、その人にはそれを選択する権利がある」という点を擁護していたのです。

その後、数多くの女性たちが私の所にやってきて、「先生、私たちが被り物をする権利があるということを言ってくださり、私たちのことを擁護してくださってありがとうございました」と感謝の意を表されました。

その後次第に私は、1コリント11章は、祈りのベールについて非常に明確に教えていることが分かってきました。新しくイエスを信じたばかりの人が(教派的先入観なしに)この聖書箇所を読むなら、誰でも皆、これは時代を超えた不変の神の掟であり、公的礼拝の時、女性は頭を覆う必要があるということを理解するでしょう。
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祈りのベールの証し:エリン・バーネット

Head Covering Testimonies

名前:エリン・バーネット

年齢:16歳

国:北アイルランド ベルファースト市

祈りのベールを始めた時期:2014年6月

Erin Burnett

1) 読者のみなさんに自己紹介してください。

私は北アイルランドの高校一年生です。私は愛情深いクリスチャン家庭で育ちましたが、残念なことに、ジェンダーの役割に関する私の考え方は、うちの家族が通っていたリベラル派教会の教えの影響によって歪んだものになってしまっていました。(女性の牧師就任や中絶合法化支持など)

私は聖書など全然読んでいませんでしたが、それにもかかわらず、とても独善的な振る舞いをしていました。しかし神は私の人生の中で働き始められ、私はある時、突如として自分で聖書を読みたくなったのです。その時期、私は主イエス・キリストによる救いを経験しました。

その後しだいに、私は自分の属している教会の中にこれ以上とどまり続けることはできないと感じるようになっていきました。というのも、この教会では聖書に正当な権威が与えられていないように思えたからです。こうして16歳になった時、両親は私がこの教会を去ることを許してくれました。―両親は私の信仰の持ち方には同意してくれていませんが、それによって私たちの親子関係にひびが入ることのないよう配慮してくださっています。

現在、私は受験勉強で忙しくしていますが、空き時間にはクリスチャン・フィクションを読んだり、書いたりしています。また私はカルヴァンやその他の改革派神学に関心を持っており、卒業後は神学の勉強をしたいなあと思っています。でも私の最大の望みは妻になり、母親になることです。
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「祈りのベールは文化的なもの?コリントの売春婦のことはどうなんですか?」(

Head Covering Objections
反論パウロが生きていた当時、売春婦は髪を短くし、かぶり物も着けていませんでした。当時のコリント文化では女性がかぶり物を着けるのが慣習だったので、そうしない女性は容易に売春婦に間違われたのです。そういった状況は地域的なものだったので、かぶり物は今日の私たちには必要ないのです。

当時の文化について考察することは助けになることもしばしあります。しかしある聖書の掟に対し、聖書記者が意図したものとは違う理由を私たちがそこに付与しはじめる時、その試みは危険なものになります。

R・C・スプロールは次のように言っています。

「もしパウロがコリントにいる女性に対しただ単に『かぶり物を着けなさい』と言っただけで、そういった指示を出した根本的理由を説明していなかったのだとすれば、私たちはその理由を見出すべく、自分たちの文化的知識に頼らざるをえなかったかもしれない。しかしここでの場合、パウロは、――コリントの売春婦の慣習云々ではなく――創造の秩序をその理論的根拠として挙げている。」 1) R.C Sproul – Knowing Scripture, 1977, ch 5, pg 110.

また彼は続けてこうも言っています。

「文化的背景を知ろうとする熱心によってかえって、(聖句で)実際に述べられていることがぼかされ不明瞭にされることのないよう気をつけなければならない。」 2) R.C Sproul – Knowing Scripture, 1977, ch 5, pg 110.

1コリント11章で、パウロは 1)創造の秩序 creation order、 2)自然nature、それから 3)御使いangelsにその根拠を求めており、それらはいずれも文化を超越するものです。 Read more

References

1.
 R.C Sproul – Knowing Scripture, 1977, ch 5, pg 110.
2.
 R.C Sproul – Knowing Scripture, 1977, ch 5, pg 110.

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