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なぜかぶり物?理由その3【自然】

Biblical Case for Head Coverings

、、、長い髪は、男女間の差異という〈自然〉より表示されるものであるから、(女性に)求められているかぶり物というものも、この〈自然〉が教えているものと同じ線上にある。 -ジョン・マーレー(ウェストミンスター神学大学、1930-66) 1) ジョン・マーレーからV・コナーズ氏への書簡より引用↑ ‘Head Coverings and Decorum in Worship’ www.headcoveringmovement.com/articles/head-coverings-and-decorum-in-worship-a-letter-by-john-murray

かぶり物をすることに関してパウロの挙げた三番目の理由は、彼の主張の中でもおそらく最も分かりにくく、また誤解されているものでしょう。

それは自然が私たちに教えていることを基とした上で、――何が正しいのかという――人間の常識に訴えています。これからそれについてさらに詳説していきますが、さしあたって、まずは次の聖句を見ていくことにしましょう。

あなたがたは自分自身で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのは、ふさわしいことでしょうか。(1コリント11:13)

ランドム・ハウス辞典によれば、修辞的な疑問というのは、「効果をもたらすため、もしくは主張するためになされる」と書いてあります。「あなたがたは自分自身で判断しなさい」と言ったパウロはまさにそれをしているのです。

というのも、「なぜかぶり物を実践しなければならないのか」という事についてパウロは今しがた、長い擁護をし終わったばかりだったからです。それなのに、今擁護したものを途端にくつがえし、「(創造の秩序に基づくこの教えに)もし従いたかったら従ってもいいですよ。でも従いたくなかったら、それでもいいですよ。」とパウロはあなたに選択の自由を与えているのでしょうか。

いいえ。その反対に、彼は「これに関してはもうこれ以上議論の余地なし」と宣言しているのです。

つまり、「みなさんご存じのように、これのみが正しい選択肢なのです」とここでパウロは言っているのです。それゆえ、教会で女性がかぶり物を着けずに祈ることがふさわしい行為などとは誰も言わないだろうと。

ここまでお読みになって、狐につままれたような顔をしていらっしゃる方がいるかもしれません。でも今しばらく私の説明に耳を傾けてみてください。

信者に対し「あなたがたは自分自身で判断しなさい」という言葉が発せられたのはこれが初めてではありません。この聖句をさらに明確に検証するため、今ここで、同じ表現が使われているその他の聖句のいくつかをみてみることにしましょう。

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References

1.
 ジョン・マーレーからV・コナーズ氏への書簡より引用↑ ‘Head Coverings and Decorum in Worship’ www.headcoveringmovement.com/articles/head-coverings-and-decorum-in-worship-a-letter-by-john-murray

なぜかぶり物?理由その2 【御使いたちのため】

Biblical Case for Head Coverings

『御使いたちのために』かぶり物を着けなさい、という女性に対するパウロの勧告は、この教えが普遍的かつ時間を超越した恒久的なものであることを、全く疑いのないものにしている。 1) K・P・ヨハンナン– Head Coverings (2011, Believers Church Publications) p24

クリスチャンが「難解だ」と感じる聖句の中でもとりわけ、Ⅰコリント11:10はその最たるものかもしれせん。

「ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためにです。」(Ⅰコリ11:10)

使徒パウロはただ、御使いのたちのために、かぶり物を着けるべきだとだけ言っています。ですから、この聖句が全的に意味しているところが何であれ、私たちがここで持しているものは、パウロの挙げている理由です。この点は強調してもしすぎることはありません。

この聖句の意味するところを理解しようと努め、もしそれで、私たちが「理解できた」ならそれが理由になる―――いいえ、そうではありません。むしろ、それが理由だからこそ、私たちはそれを理解しようと努めるわけです。

私たちにとって理解の難しい点は、パウロがその意味するところを説明することなく駆け足でこれを言っていることです。これについて考えられる理由としては、「コリントの教会はパウロが何を意味していたかをすでに理解していた。それゆえ説明は不必要であった」というものが挙げられるでしょう。

テサロニケ人への手紙の中で、パウロは、自分が彼らと一緒にいた時に、キリストの再臨についての詳細を話していたと言っています(Ⅱテサ2:5)。これも同様に、彼らがいる前で述べられた教説の一つだったのかもしれません。

この箇所は非常に短く、不明瞭な聖句ですので、絶対的な確実性をもって、この聖句が意味している内容を知ることはできないでしょう。しかし、――この箇所に光を当てることのできる――御使いについての聖句は多いと思います。こういった聖句を検証していくと、私たちは最終的に、真でありうる二通りの結論に行き着くでしょう。

両者は互いに矛盾していませんので、両結論とも正しいと言い得ますが、パウロが意味していたのは、その内の一つであった可能性もあるでしょう。 Read more

References

1.
 K・P・ヨハンナン– Head Coverings (2011, Believers Church Publications) p24

なぜかぶり物?――理由その1【創造の秩序】

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Biblical Case for Head Coverings

「、、、ここで最も驚くべきことは、パウロが、コリントのことではなく、創造のことに論拠を求めていることだ。何であれ、地域的習慣を超えるものは創造に根付き秩序づけられているものである。だからこそ、私はここの聖句をあいまいに扱うことを大変恐れているのだ。」R・C・スプロール 1) R・C・スプロールの説教(‘To Cover or Not To Cover’ available at www.ligonier.org/learn/series/hard_sayings_of_the_apostles/to-cover-or-not-to-cover/)から引用

使徒パウロはⅠコリント11章の中で、(女性たちが)実際のかぶり物を着けるべき四つの理由を挙げています。その中でも最初に挙げる理由が土台です。――つまり、かぶり物が指し示している深遠なリアリティーのことです。

例えば、バプテスマは、古い人に死、キリストにある新しいいのちに生きることを象徴しています(ローマ6:4)。同様に、女性が頭にかぶり物を着けて祈り、男性がかぶり物を取って祈ることにおいても、そこには何か偉大なことが象徴されているのです。さあ、この土台についてみていくことにしましょう。 Read more

References

1.
 R・C・スプロールの説教(‘To Cover or Not To Cover’ available at www.ligonier.org/learn/series/hard_sayings_of_the_apostles/to-cover-or-not-to-cover/)から引用

「ないがしろにされている」教えへの道案内(Ⅰコリント11章)

You can also read this article in English here.
An Introduction to a Neglected Doctrine

祈りのベール(かぶり物)というのは、受けのいい教えではありません。実際、この教えはかなりないがしろにされています。では、私はどうして、この教えに基づいた運動を始めたのでしょうか。私は論争好きなのでしょうか。いいえ、まったくそんなことはありません。分派を起こそうともくろんでいるのでしょうか。いいえ、それもまったく違います。それでは、なぜ私はこんな事を始めることにしたのでしょうか。

 

端的に答えを言います。それはこの教えが聖書に書いてあるからです。もしも「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(Ⅱテモテ3:16)というのがまことに然りならば、聖書はすべて、公平な取り扱いを受けるに値します。

 

それだけでなく、この主題は、聖書の中で言及されているだけでなく、「擁護」されてもいるのです。これは一、二の不明瞭な聖句ではなく、十五節にも渡る連続した聖句なのです。

 

ここの聖句でパウロが意味していたことについて議論することもできますし、この聖句が21世紀にいかに適用されるかということについて議論することもできましょう。しかし、ただ一つ「この主題を無視し去る」――これだけはできないことです。 Read more

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