女性の長い髪=かぶり物?
反論(objection):聖書では、女性は祈る時や預言をする時にかぶり物を着けなければならないといっています。しかし、この箇所は、女性の頭の上にのせる(布やレースなど)人工的なかぶり物として理解すべきではありません。
なぜなら、Ⅰコリント11:15に、女性のかぶり物=長い髪と書いてあるからです。男性は髪を短くし、女性は長くしなければならないというのがパウロの要点だったのです。
たしかに女性の長い髪が自然のかぶり物であることは事実ですが、この章で言及されているのは二種類の異なるかぶり物であると私たちは理解しています。一つは、女性の長い髪であって、これは自然のものであり、常にそこにあるものであり、女性にとっての光栄です(Ⅰコリント11:14-15)。
そしてもう一つは、布のかぶり物であって、これは人工的で、取りはずし可能なものであり(Ⅰコリ11:5)、権威の象徴です(Ⅰコリント11:10)。
かぶり物の代わりに?
長い髪だけが唯一のかぶり物だという主張は、15節に基づくものです。「女が長い髪をしていたら、それは女の光栄であるということです。」
この立場を擁護している方々は、ギリシア語のαντι(’anti’ 英語ではforと訳されています)を、「~の代わりに(in place of)」という意味だと理解しているのです。つまり、この聖句は「女性の髪はかぶり物の≪代わりに(in place of/instead of)≫彼女に与えられているのだ」と言っているのだと考えているのです。
この点について、トーマス・シュライナー博士(南バプテスト神学大学、新約解釈学)は次のように言っています。
「11:15の前置詞antiは代用・置き換えだけを指すというわけではない。これは等価をも示しうる。ここの文脈では後者の意味の方がむしろ、より理にかなうだろう。」 1) Thomas R. Schreiner ‘Head Coverings, Prophecies and the Trinity’ – Footnote #7. Dr. Schreiner does not believe a head covering is necessary today.
A.T.ロバートソン(南バプテスト神学大学 新約解釈学 前教授)は、さらに次のことを指摘しています。
「これはベールの代わりにということではなく、恒久的分与〔dedotai 完・受・直〕として、ヨハネ1:16の中の〔anti〕の意味で使われている。」 2) A.T. Robertson – Word Pictures in the New Testament – 1 Corinthians, Volume 1 – 11:15 ‘for a covering’. He does not believe in the ongoing practice of head covering.
ロバートソン氏が言及しているヨハネ1:16は、「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」(新改訳)です。
彼が言及しているのは後半部分の「χαριν αντι χαριτος (恵みの上にさらに恵みを、”grace upon grace” NASB, “grace for grace” KJV)」です。
この例は、antiというのが、置換だけを意味するわけではないということを示しています。――というのも、私たちは「恵みの代わりに恵みを」受けたわけではありませんから。
短く切った状態の短い髪
特定の時だけかぶり物を着けるようパウロが命じていたとう事実は、彼が取りはずしのできるかぶり物を念頭に置いていたことを暗示しています。
それに加え、この章で述べられているかぶり物というのが、長い髪だけを意味するのだとしたら、六節との間で大きな問題が生じてきます。私の言わんとしていることについて説明させてください。
もし長い髪=覆われている(being covered)というのがパウロの言わんとしていることだとしたら、覆われていない状態(being uncovered)とはいったい何を意味するのでしょう。
それは当然、「短い髪」ということになりますよね。「覆われている」の反対は「覆われていない」、そして「長い髪」の反対は「短い髪」です。
それでは、もしもパウロがそれを意図していたのだとしたら、と仮定して、六節の言葉を置き換えてみることにしましょう。つまり、「かぶり物を着ける」という語句を、「長い髪を持つ」で置き換えてみるのです。
女が〔長い髪を持たない〕なら、髪も切ってしまいなさい。(Ⅰコリ11:6a新改訳)
For if a woman does not [have long hair], let her also have her hair cut off (1 Cor 11:6a NASB)
For if a wife will not [have long hair], then she should cut her hair short (1 Cor 11:6a ESV)
もし長い髪を持たないなら、髪を短く切ってしまいなさい?えっ、でも、あなたの髪はすでに短いのです!この議論は理にかないません。
ここで「短く切るcut short」と訳しているESV訳に異論を唱える方もいるかもしれません。こういった方々はNASB訳の「切るcut off」を「剃る」という意味の同義語だと理解しようとしています。
そうすると、この議論のナンセンス度が少しは緩和されるとお考えになっているのかもしれません。つまり、ここでのパウロの主張は、「もし女が短い髪なら、すべて剃ってしまうべきです」と、こうなります。
しかしこの主張の難点は次の点にあります。つまり、ここの文脈では、「(髪を)切る」が「剃る」を意味することはありえないのです。
「切る」と訳されているギリシア語はkeirōです。この語は、同じ六節の終わりの方で再び使われており、「剃る」を意味するギリシア語xuraōとは明確に区別して使われています。
ここをみてください。「、、髪を切ったり(keirō)、そったりするのが(xuraō)〔口語訳〕、、、」
分かりますか?パウロはここで切ったり(”or”)剃ったりと言っているのです。ですから、「切る(keirō)」というのは、剃った頭のことを指す時に使われることもありえますが、この箇所においては、それはパウロの念頭にはなかったのです。3) Thayer’s definitions for G2751 lists ‘cutting short the hair of the head’ as one of the acceptable definitions. This is the only definition that fits the context. http://www.blueletterbible.org/lang/lexicon/lexicon.cfm?strongs=G2751
そうでなければ、次のようになってしまいます。「、、髪を〔そったり〕、そったりするのが、、、」
髪をそったり、そったり??
ここにおいても、この議論が全く理にかなわないことが分かります。
栄光もしくは服従?
女性の長い髪のことを、かぶり物としてパウロはここで言及していますが、これは4節から13節までの箇所で自分が命じた内容を規定するために言ったのではなく、「人工の(布の)かぶり物を着けなければならない」理由として挙げることによって自身の主張を補強するために言ったのです(Nature参照)。
これが主張だと分かるのは、この箇所が修辞疑問(→形式は疑問文ですが、内容的には平叙文に等しい強意の反語的表現のこと。訳者注)として表現されているからです。「自然自体が、あなたがたにこう教えていないでしょうか、、」
さらに、パウロは女性の長い髪のことを光栄と言っていますが、これによってさらに、パウロが二種類のかぶり物のことを念頭に置いていたことが明確に示されます。なぜなら、この前の箇所で、それは女性が権威の下にいることのしるしであると言っているからです(Ⅰコリント11:10)。
ギリシア語学者ダニエル・ワレスはこの点について次のように言っています。
「もし長い髪が(頭にかぶる)かぶり物と同じだとするなら、10節と15節は同じことを指し示していなければならないはずです。しかしそのようなことは到底ありえないことです。10節で、女性は「権威のしるし」をかぶるよう要求されています。
そのようなしるしというのは、女性の従順のことを表しているのであって、彼女の光栄のことではありません、、、15節のこの部分を逐語訳をするなら、「それは女にとっての光栄である」もしくは「女に帰されるべき光栄」あるいは「女の益として」等になるでしょう。ですからもちろん、ここは10節で言っているポイントではないのです。」 4) From http://bible.org/article/what-head-covering-1-cor-112-16-and-does-it-apply-us-today. Dr. Wallace does not believe a head covering is necessary today.
歴史的証言
最後に、――ここ最近まで――キリスト教会が、パウロがここで布のかぶり物のことを意味しているのだという点で一貫して見解の一致をみてきた事実も注目に値します。
テルトゥリアヌス(AD160-215)は、パウロのⅠコリント執筆後、わずか150年後に、コリントにある教会は、今日にいたるまでベールの慣習を続けていることを明かしています。
彼は言いました。「だから、コリント人たち自身、彼のことを理解していたのだ。事実、今日でもコリント人たちは、未婚の乙女たちにベールを着けさせている。使徒たちが教えたことを、弟子たちは是認している。」 5)
Tertullian – On The Veiling Of Virgins – Chapter VIII.
ヒッポリュトス(AD170-236)もほぼ同時期に次のように言っています。「すべての女性に対し、透明でない布でもって頭を覆うよう言いなさい、、」 6)
From ‘The Apostolic Tradition of Hippolytus – Part II – Number 18
ですから、女性の自然なかぶり物は彼女の長い髪であり、それは彼女の光栄です。しかし、女性が「祈る時や預言をする時」には、彼女はまた、その光栄を覆うべく、――彼女が権威の下にいるというしるしとして――布のかぶり物をかぶらなければならないのです(Ⅰコリント11:10)。
References