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女性の結婚指輪は、祈りのベールの代わりになり得る??

Can Wedding Rings Replace Head Covering?

被り物に関し「文化的解釈」を採っておられる方々からしばし出される意見とは次のようなものです。

「ベールというのは、現在の西洋文化においては何ら意味を持っていません。ですから私たち信仰者は、このシンボルを、より今日性を持つなにかに置き換えることによって、原則を保持できるのではないかと思います。」そして、その置き換え物として最も頻繁に提案されるのが、女性の結婚指輪です。

その一例を挙げましょう。ロイ・B・ザック博士は、著書 『Basic Bible Interpretation(基本的な聖書解釈)』の中で、次のような提案をしています。

「今日の女性たちは、教会で頭にショールを被る必要があるのでしょうか?いいえ、その必要はありません。なぜなら、当時のギリシャ・ローマ世界における女性のショール文化の重要性は、現代の私たちの文化にあってはもはやその効力をもっていないからです。つまり、ベールをかぶるという行為は、かつてのようにシンボリズムの意味をもはや付帯していないわけです。

しかし現代文化の文脈の中でそれに従い、それを表現するような原則は存在するのでしょうか。妻の夫に対する従属(劣等ではありません!)の原則は今もってその効力を失っていません。なぜなら、この真理は聖書の中の他の箇所でも言及されてあるからです。

ある人々が提案している、可能性として考えられる現代文化的パラレルは何かというと、それは妻の結婚指輪(そして苗字を夫の姓に変えること)です。これは、彼女が結婚しており、それゆえ、夫の権威の下にあることを示すものです。」1)  Zuck, Roy B.. (1991)., Basic Bible Interpretation: A Practical Guide to Discovering Biblical Truth (p. 97). Colorado Springs, CO: David C. Cook.

私はこういったシンボルの置き換えを受容しませんが、そこには根本的な理由があります。それは一言でいいますと、私たち人間には、神が聖書でお命じになっている内容を変更する権威は与えられていないからです。

主の民として、私たちの責務は、主が命じておられることを受け入れ、それを実践することであって、それをモダナイズしたり、アップデートしたりすることではありません。この事についてはこの記事にすでに詳説し、こういった聖書解釈がいかにその他の聖書のシンボル(バプテスマや聖餐)をないがしろにする結果をもたらしているのかを示しました。本記事において、私は、「結婚指輪」のことに焦点を絞り、なぜそれが被り物の代替品として適当でないのかということをみなさんとご一緒に考えていけたらと思います。以下、その5つの理由を挙げます。

  1. 理由その1.結婚指輪は、1世紀にも存在していました(Wedding rings were practiced in the first century too
     Villa of the Mysteries Domina
    (Villa of the Mysteries domina:この絵画をみますと、彼女はベールを被りつつ、それと同時に指輪もはめています。紀元前1世紀後半アウグストゥス帝時代)

    結婚指輪というのは、現代の考案品ではなく、1世紀のギリシャ・ローマ文化にも存在していた制度でした。例えば、AD200年頃、初代キリスト教著述家であるテルトゥリアヌスは、いかに前の世代の人々が「慎み深さと貞節のために規定を設けていたか?そう、女性たちは、指にはめる結婚指輪はもちろんのこと、自分の身になんら金製品をつけなくなっていたのだ。」と述べています。 2) Tertullian: The Apology, translated by Wm. Reeve, (1709 reprinted 1889). Tertullian.org. Retrieved 24 March 2017, from http://www.tertullian.org/articles/reeve_apology.htm . ジュディス・セバスタ博士は著書『The World of Roman Costume(ローマ衣裳の世界)』の中で、「2世紀前の時点で、既婚女性たちがゴールドの指輪をはめることが慣習になっていました」と述べています。 3) Sebesta, J., & Bonfante, L. (2001). The world of Roman costume (1st ed., p. 78). Madison, Wis.: University of Wisconsin Press. 最後に、カレン・ハーシュ博士は、著書『The Roman Wedding: Ritual and Meaning in Antiquity(ローマ人の結婚:古代における儀式と意味)』の中で次のように言っています。「どの世紀のローマの指輪も――特に注目すべきは、AD1世紀のプリニウスが描写しているものの多くが――宝石で飾られており、それらは通常、美術史家によって、結婚あるいは婚約のシンボルとしての指輪であると判定されています。」 4) Hersch, K. (2010). The Roman wedding (1st ed., p. 41). Cambridge: Cambridge University Press. ですから、こういった文芸的そして考古学的立証事実により、結婚指輪というのが1世紀に存在していたということが判明しています。それゆえ、そういった結婚指輪を実際に使用し、それをすでに理解していた文化のただ中にあって、使徒パウロは「被り物をつけなさい」という掟を出したのです。ですから、それは適切な代替品ではないわけです。

  2. 理由その2.結婚指輪は特定のジェンダーに固有のものではありません(Wedding rings are not gender specific)
    現代文化では、男性も女性も、結婚指輪をつけています。しかし、パウロは女性たちだけに被り物をするよう指示を出しているだけでなく、男性たちには被り物をしないよう、逆の掟をも出しています。聖書は次のように言っています。「男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります」(1コリ11:4)。ですからもしも、「結婚指輪」が1コリント11章の被り物の置き換えになり得ていたのだとしたら、男の人は指輪をすることが禁じられていたはずです。これによっても、なぜ結婚指輪が適切な代用品にはなり得ないのか、その根拠がさらに深化されます。神は男性・女性両方に対するシンボルを念頭に置かれ、男性たちにとっては、それは女性たちが為すことの正反対の行為でした。
  3. 理由その3.結婚指輪はクリスチャンでも、相補主義でもありません(Wedding rings are not Christian or Complementarian被り物はかしら性(headship)の真理を象徴するものです。それは、女性の権威は男性であり(1コリ11:3)、彼女はその男性のために造られたということです(1コリ11:9)。ですから、被り物は創造の秩序という真理、そして聖書的女性像への喜びに満ちた受容に対する肯定なのです。

    しかし現代文化の結婚指輪は、この意味を帯びていません。結婚指輪というのは、無神論者であれ、フェミニストであれ、不誠実な男性であれ、女性であれ、とにかく誰でも指にはめているものです。ですから今日の文化においては、結婚指輪というのは「私は結婚しています」という意味以上の深い意味はありません。

    また結婚指輪はあなたが配偶者に対して忠実であることを示したり、ジェンダーや結婚における神のお定めになった役割や目的を喜んで受け入れますといったことを示してもいません。さらに留意すべきことに、かしら性を可視的に伝達しそれをはっきり表現すべく神が私たちにお与えになったシンボルは、私たちの頭の上のシンボルです。ですから、指のシンボルというのは、頭部のシンボルが表象するようには、かしら性をコミュニケートできません。

  4. 理由その4.結婚指輪は男性の栄光を「覆って」いません。(Wedding rings do not “cover” the glory of man男性が頭を覆ってはならない理由は、「男は神の似姿であり、神の栄光の現われだから」であり、それに対し、女性は、「男の栄光の現われ」であるため、頭を覆わなければなりません(1コリ11:7)。

    聖書的男性像および女性像のシンボルであることに加え、神が私たちにお与えになったシンボルが「覆うもの(“covering”)」であるというのは偶然の産物ではないのです。なぜならその目的は、象徴的に栄光を「覆う(“cover”)」ものだからです。

    私たちが神を礼拝する際、神の栄光は覆われ得ません(それが理由で男性は自分の頭を覆うことが許されていないのです)、そして男性の栄光は覆われなければなりません(それが理由で女性は自分の頭を覆わなければならないのです)。一方、結婚指輪はどうでしょうか?そうです、結婚指輪は何をも覆っていません。それゆえ、このシンボルが持つ目的の一つを遂行することに失敗しています。

  5. 理由その5.被り物は結婚のシンボルではありません。(Head covering is not a marriage symbol1コリント11章の文脈の中のどこにも、結婚に関することは表示されていません。ここでは結婚関係についての言及は一切なしで男女間における創造の秩序のことが述べられています。

    ですから、「被り物というのは1世紀当時、忠実な妻が自分が既婚女性であることを示すべく着用していたのだ」という見解を支持している人々は、その当時の半身像の大部分がベールをしていない高貴な既婚女性の像であるという事実を考慮に入れ損なっています。

    この論題に関しては、ここで述べてきたこと以上にもっと多くのことが言及され得ます。被り物というのは結婚のシンボルではありませんから、それを結婚指輪で置き換えるという行為により、1コリント11章で神がご意図したものとは異なるメッセージが発せられてしまう結果をもたらします。

    私たちは聖書的男性像および女性像を象徴しなければならず、ただひたすらに神の栄光だけが覆いを外され(unveiled)、顕現されなければならないのです。

以上の5つの理由により、私は結婚指輪が適切な被り物の置き換えではないということを確信しています。神は、かしら性を伝達すべく頭(かしら)のシンボルをお与えになり、人間の栄光を覆い、カバーすべく、カバリング(被り物)をお与えになりました。被り物は実際、これ以上改良しようがないほどパワフルな可視的シンボルであり、置き換え(re-place)られるのではなく私たちの教会に再び導入(re-introduce)されるべきシンボルです。

References

1.
  Zuck, Roy B.. (1991)., Basic Bible Interpretation: A Practical Guide to Discovering Biblical Truth (p. 97). Colorado Springs, CO: David C. Cook.
2.
 Tertullian: The Apology, translated by Wm. Reeve, (1709 reprinted 1889). Tertullian.org. Retrieved 24 March 2017, from http://www.tertullian.org/articles/reeve_apology.htm
3.
 Sebesta, J., & Bonfante, L. (2001). The world of Roman costume (1st ed., p. 78). Madison, Wis.: University of Wisconsin Press.
4.
 Hersch, K. (2010). The Roman wedding (1st ed., p. 41). Cambridge: Cambridge University Press.

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