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祈りのベールの証し:エリザベス・ワイザー

Head Covering Testimonies

名前:エリザベス・ワイザー

年齢:26歳

所在地:イスラエル、ベエールシェバ市

祈りのベールを始めた時期:2011年7月

Covering the Web: Elizabeth Wiser

1)読者のみなさんに、少し自己紹介してくださいますか。

私はイスラエル在住の、アメリカ人医学部生です。ユダヤ人でもない私がイスラエルで勉強しているというのは、母国でも、そしてここイスラエルでも、「ちょっと普通ではない事」と受け取られているようです。しかし私の大学は、グローバル公衆衛生に力を入れており、ベドゥインの遊牧民や、アフリカからの難民、世界中からのユダヤ人移住者たちと共に働き奉仕する機会が与えられており、私にとってはまさに理想的な状況です。というのも、私は将来的に医療ミッションに関わりたいと思っているからです。

母国で医学部を修了するのなら、この先5年から10年待った上で、はじめて――言葉も文化も不慣れな――外国の宣教地に足を踏み入れるということになると思います。でも今、私は勉強しつつ、しかもすでに「現場に」いるのです!また、私の住んでいるベエールシェバ(Beer Sheva)は、かつてアブラハムが住んだ町でもあります!ですから、聖書がユダヤの南とか、荒野とか、ネゲブと言っている時には、私は自分の部屋から外を眺めさえすればいいのです。そうすれば、それがどんなものか立ちどころに分かります。

2)どこの教会に通っていますか。

私はベエールシェバで唯一英語通訳のある教会に通っています。この教会にはまた、スペイン語とロシア語の通訳もついており、それはイエスの御名の中で、異邦人とユダヤ人が共に集まり、神様を礼拝するという美しい光景を生み出すものとなっています。

ここのコミュニティーの人たちは本当にすばらしいです。非常に多くのユダヤ人クリスチャンの方々が、イエス様に信仰を持ったゆえに、家族から絶縁されています。また洗礼式を行なうのも覚悟が要ります。というのも、うちの教会で洗礼式が行われるという情報が流れると、オーソドックス・ジュー(正統派ユダヤ教徒)の人々が教会に暴動を働きかけてくるからです。(なぜなら、一人のユダヤ人がバプテスマを受けるということは、ユダヤ人であることから離反すること(de-Jewed)を意味するからです。)このように自分が、クリスチャンという[イスラエルにおいては]少数派の一員であるという体験は、周りの文化ではなく、意識的に自分の信仰を実践し生きていくということを学ぶ上で大きな励みになっています。

3)どのような経緯で祈りのベールを始めるようになったのですか。

私はファンダメンタル(聖書主義)の教会で育ちましたが、そこでは、女性の「長い髪」というのが「被り物」のことだと捉えられていました。高校を卒業後、私は親許を離れ、別の州にある大学に入学しました。そしてある日、そこにある叔母の教会に行ってみようと思い立ちました。実は、その叔母の教会が、祈りのベールを実践する教会だったのです。(約半数の女性たちが礼拝時に被り物を被っていました。)叔母は、そういう光景をみて私がびっくり仰天しないよう、前もって心の準備をさせようと思ったのでしょう、被り物についてのあるエピソードを私に話してくれたのです。

それによると、叔母はかつて友人に「もしも被り物に関する聖句について、主があなたに何かを示してくださったら、あなたは進んでその変化を受け入れたいと思う?」と訊いたそうです。でもその友人には、進んで変化を受け入れる心がなかったそうです。そう言いつつ叔母は、私に、「神様に対しやわらかい心を持ってね。そして主とそのみこころについて、今後より良く知っていく過程で、変化を進んで受け入れてね。」と熱心に語ってくれました。

でもそれからの二年間というもの、私はその教会に通いつつも、ベールはしませんでした。水曜祈祷会の席でも、ベールをしていない女性は私だけでした。ある日、祈祷会の席で、牧師さんが何かの話のついでに、「長い髪というのは女性の光栄(=glory)であり、誰も神のご臨在の中で自らを誇ってはならない(=glory)のです」と言われました。その説明は、[被り物を認めていない立場に立っていた]私にとって、はじめて聞く、説得力ある議論でした。

しかし、私は「周りのみんながしているから」という理由だけで、何かを受け入れるつもりはありませんでした。その後さらに2年以上に渡り、私はその教会に通い続けました。そして大学4年の時、もう一度、被り物に関する説教を聞きました。しかし私は説教を鵜呑みにするのではなく、一度自分でしっかりここの聖句を調べてみようと思っていましたので、大学を卒業して、院に入学するまでの待ち時間の間に、1コリント11章のリサーチに取り掛かりました。こうして検証の結果、ここの聖句でいう「被り物」というのは髪の毛ではなく、帽子とかスカーフ等のcoveringのことを意味しており、これは今日の教会でも実践されるべきものであるという結論に私は導かれました。

4)初めて被り物をして主日礼拝に臨んだ時、どんな心境でしたか。

最初にベールをして礼拝に臨んだのは、大学院の近くにある新しい教会を訪れた時のことでした。主のご慈愛により、会堂にはなんともう一人、被り物をしている女性がおられたのです。そしてそれは私がぜひとも必要としていた励ましでした。礼拝前にベールをかぶるに当たって一番しんどい思いをしたのは、幼い時から通っている故郷の教会でスカーフを頭にかぶる、その瞬間でした。しかし感謝なことに、誰からも何も言われず、「なぜ被り物をしようと思ったのか」という自分の新しい決心について他の人に弁明する必要もなく、礼拝に参加することができました。このような立場に私を導いてくださった主を賛美します。というのも、祈りのベールの実践を通し、それ以後、私は自分の友人たちに、神様への恭順の美しさについて証する機会が与えられるようになったからです。

5)イスラエルの教会での被り物の実践状況についてお話くださいませんか。祈りのベールというのは、イスラエルでは多数派によって実践されているものですか。

私の教会では、既婚女性信者の約3割が、礼拝時にベールをかぶっています。そういった女性信者のほとんどが、ロシアおよび東方正教会の背景をもっておられます。一方、非ロシア系の女性でベールをかぶっている女性たちは、保守的なユダヤ教出身の方々です。保守的なユダヤ教のラビ教義によれば、イサクに会う前にレベカが頭を覆ったことに由来し、「既婚女性はが公の場に出る時には、帽子やスカーフ等をつける」という慣習があります。

イスラエルにある他の諸教会では、ベール女性の割合は、だいたい75-80%というところでしょうか。でもこれらは、より保守的ないしはオーソドックスなキリスト教会で見受けられる現象です。アラブ系の福音主義クリスチャン女性で、ベールを実践している方には今までお会いしたことがありませんが、これは私はアラブ系のクリスチャン・コミュニティーとの接点が少ないという事情に因るからかもしれません。

6)人目を恐れる余り、ベールを実践したくてもすることができないでいる女性たちに何か励ましのメッセージがありましたら、どうぞ。

私はどちらかというと、余り人を恐れないタイプかもしれません。でも聖くへりくだった心で神様を礼拝することの尊さについては知っており、神様とのより深い交わりのためなら、たとい他の人からの軽蔑を受けようとも、それらは価値あって余りあるものだと思います。でも実は、私自身、高校の時、礼拝時に帽子をかぶっている姉妹たちのことをバカにしていたんです。ですから、元嘲笑者である私からみなさんにアドバイスがあるとすれば、それは、「現代の感覚からあまりかけ離れていない型の帽子やスカーフを被り物として選ぶなら、あまりジロジロ見られることはないでしょう」ということです。80年代の服装で身を包むからといって、私たちはより霊的な女性になるわけではありません。ベールの目的は、それをすることにより、私たち女性の髪の美しさや、あるいは帽子の奇抜さなどによっても、御使いや人々が気を乱されることなく、一心に神様を礼拝できるようになることです。

7)被り物に関し、もっともすばらしい点、あるいはもっとも困難な点があるとしたらどんな点だと思いますか。

イスラエルにおいて[クリスチャンのベール女性にとって]一番やっかいな点は、保守的で既婚のユダヤ教徒の女性と勘違いされることです。ユダヤ人の女性たちは、私が安息日に財布を持って歩いているのをけげんな目つきで見てきます。アラブ系の若者たちは、すれ違いざまに私をやじります。また最近起こったことですが、ある世俗ユダヤ人に、私は「死ね」と言われました。しかも、これらはいずれも、私がキリストの御名のゆえの苦難でさえないのです。。。ただ自分が何者かということで勘違いされているだけなのです。

その一方、すばらしい点は、清い良心をもって教会の礼拝に臨むことができ、聖書のみことばに対する不滅の愛を、このように生きた形で証することができる事です。また、神様の前でへりくだることをも教えられています。

8)どんな被り物を使っていますか。どこで購入していますか。

そうですね、Target, Kohls, Walmartとかいった普通のお店で売っている帽子やスカーフを被り物として私は使っています。もしスカーフをどのように頭に巻くのか興味がある方は、「Tichel(ユダヤ式被り物)のかぶり方」というような、おもしろいyoutubeがいくつかあるので観てみてください。でも私は、たいてい縁なし帽子をかぶっています。というのも、それだと砂漠の太陽の日よけにもなるからです。

 

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