fbpx

Navigate / search

女性の長い髪=かぶり物?

Head Covering Objections

反論(objection:聖書では、女性は祈る時や預言をする時にかぶり物を着けなければならないといっています。しかし、この箇所は、女性の頭の上にのせる(布やレースなど)人工的なかぶり物として理解すべきではありません。

なぜなら、Ⅰコリント11:15に、女性のかぶり物=長い髪と書いてあるからです。男性は髪を短くし、女性は長くしなければならないというのがパウロの要点だったのです。

たしかに女性の長い髪が自然のかぶり物であることは事実ですが、この章で言及されているのは二種類の異なるかぶり物であると私たちは理解しています。一つは、女性の長い髪であって、これは自然のものであり、常にそこにあるものであり、女性にとっての光栄です(Ⅰコリント11:14-15)。

そしてもう一つは、布のかぶり物であって、これは人工的で、取りはずし可能なものであり(Ⅰコリ11:5)、権威の象徴です(Ⅰコリント11:10)。
Read more

相補主義クリスチャンの方々への公開レター、Ⅰコリント11章 祈りのベールに関して

An Open Letter to Complementarians about Head Covering
Written by: Jeremy Gardiner (Founder, Head Covering Movement)

私は「男性と女性は、それぞれ異なるアイデンティティーと役割を持った存在として、互いに補う合う関係である」という考え方・立場にたつ福音派キリスト者(complementarian〈相補主義者〉)です。

つまり、男性と女性は共に神のかたちに創造され、その価値において平等であるけれども、それぞれが異なる役割を持っているということを私は信じています。

家庭の中においては、夫には妻を導く権威(authority/headship)が与えられており、その一方、妻は夫を助け、夫のリーダーシップに従う(submission)よう造られています。私は、家庭におけるこういった権威と従順は、キリストと主の教会の関係を描写するものであると考えています。

またこれは神がお考えになった元々の構想図ないしデザインだと理解しています。つまり、これは罪による堕落前にすでに存在していた傑作であって、堕落後の災難ではないということです。

私はこういった立場にたち、この真理を擁護しようとしているキリスト者(complementarians〈相補主義者〉)および聖書学者の方々が昨今とみに増えてきていることに励まされています。こういった方々は家庭における男性の権威および女性の従順を尊守しており、また牧師職は男性だけに開かれているという理解に立っています。

私はこの相補主義キリスト者の陣営の中にあって、現在、少数派とみなされている立場にたっています。私は、信者が礼拝のために集まる時、男女間の役割としての違いが――人に対しても御使いに対しても――象徴されるべきだと考えているのです。

つまり、Ⅰコリント11章で教示されているようにかぶり物(祈りのベール)というのは新しい契約下にあって、クリスチャンのための、時代を超えた超文化的なシンボルであるということを信じているのです。

教会の歴史を通しても、祈りのベールに関するこの理解は、常に多数派を占める立場でした。米国においても、――フェミニズムが大衆の支持を得るようになる1960年頃までは――祈りのベールはずっと尊守されてきていました。 Read more

ユニークなクリスチャンのシンボル――当時もなじみのない特異な慣習だった祈りのベール

A Uniquely Christian Symbol: How Head Coverings Were Unfamiliar To Everyone

1コリント11章を読むとき、私たちの脳裏に浮かんでくるのは何でしょう。

「これはコリントっていう都市の状況に特有なものだったのではないかな?」
「おそらく女性がかぶり物をするというのは当時普通のことだったんじゃないかな?」
「男性が頭を覆うというのは、当時のコリント文化の中では何か良くないものを象徴していたのではないだろうか?」

などなど、、コリントの文化や当時の一般的な慣習について私たちは考えるのではないでしょうか。

そして上のような問いが挙がると、聖書注解者はしばし次のような結論を出します。

「私たちの現在生きている時代および文化の中では、かぶり物というのは普通の習慣ではなく、また男性が帽子をかぶることに眉をひそめる人もいません。だから私たちはこういった掟を破棄してもかまわないし、もしくは、(かぶり物の代わりに)私たち現代人にとってもっと意味のある何か別のシンボル(here)をつけるということをしてかまわないのですよ」と。

もちろん、解釈学的にもこのような見解を受け入れることのできない理由が挙げられるのですが、それに加え、――なぜそれが理にかなわない主張であるかということを示す――文化的な理由も存在するのです。

よく考えてみてください。こういった主張の背後にはどんな前提があるのでしょう。そうです、そこには「かぶり物に関してパウロが提示していたことは、当時、文化的に普通のことであり、なじみもあり、意味もあることであったにちがいない」という信念(前提)があるのです。

しかし端的に言ってこれは正当性を欠くものなのです。
Read more

あなたは独りで立ちますか?――祈りのベールを着ける最初の人になろう!

Will You Stand Alone?: A Call to Be the First to Cover

独りで立つのは大変なことです。本当に大変なことです。

自分の性分に合わないことをし、また他の人と違っているというのはしんどいことです。寄らば大樹の陰ということわざの如く、大多数の中にいれば安全です。

ジロジロ見られたり、さげすまれたり、笑われたり、仲間外れにされたりしたい人なんて誰もいません。おかしな変わり者と思われたい人なんて誰もいません。

「祈りのベールをつけるのは今日にも適用されるべき聖書の掟だ」ということを確信するにいたった多くの女性にとって、これを独りで実践しなくちゃならない――それが、一番こわい部分でしょう。

ひとりぼっちのダンサー

数年前、TEDのトークショーを観ていたのですが、どのようにしてあるモ―ブメント(運動)が始まるのかについて説明していました。 Read more

祈りのベールの証し:デボラ・F

Head Covering Testimonies

名前:デボラ・F
年齢:39才
住んでいる所:米国バージニア州の中央部
祈りのベールを着け始めた時期:2015年2月

Covering Testimony: Deborah F.

1) 読者のみなさんに自己紹介してください。

こんにちは。デボラと申します。私は米国の専業主婦で、三人の子供(5才、9才、11才)のホームスクーリングをしている母です。家はバージニア州の中央にあります。

空き時間に、私はsilvermaplemedia.comというサイトを通し、グラフィック・デザインの仕事を少ししています。また御言葉をモチーフにした壁掛けをデザインするのも好きです。ピアノを弾くのが好きで、また時々、お菓子作りなどもします。

2) どこの教会に通っていますか。それについて少しお話ください。

私は中央バージニアにある改革派バプテスト教会に通っています。この教会は、ロンドン・バプテスト信仰告白(1689年)にその基盤を持っています。郊外にあるこじんまりとした教会で、会員数は三十人余りといったところでしょうか。

ですから、私たちは一大家族といった感じです。うちの教会にはもう一人、祈りのベールを着けている方がおられるのですが、彼女の家族は去年、うちの教会に移ってきたばかりなのです。主は彼女を通して私に被り物についての確信を与えてくださいました。
Read more

祈りのベールの証し:カロリーヌ・M

Head Covering Testimonies

名前:カロリーヌ・M
年齢:26歳
国:フランス
祈りのベールを始めた時期:2014年12月

Covering Testimony: Caroline M.

1)読者のみなさんに自己紹介してください。

こんにちは。カロリーヌと申します。私はLa Femme Modeste(「慎み深い女性」)というクリスチャン向けフランス語ブログの執筆者です。私は自分のことを「サーカスの娘」と呼ぶことが多いのですが、なぜかというと、それが私が幼い時からやってきた生業だからです。

少し前まではサーカスの教師としても教えていて、いろいろと巡業していました。一年間、フィンランドで教えていた時期もあります。現在、私は故郷に戻り、喜んで家族に仕えること、そして神さまに仕えることを学んでいます。ブログには慎み深さや祈りのベールのことなどを書いています。

2) どこの教会に通っていますか。他の姉妹たちも祈りのベールを実践していますか。

私は地元のバプテスト教会に通っているのですが、宣教に力を入れている教会です。私が祈りのベールのことについて考え、取り組み始めたちょうどその頃、ベールを実践しているある若い姉妹がうちの教会にやって来たのです。彼女の存在によって私は大いに鼓舞されました!

ですから、現在、この教会には二人のベールの姉妹がいるわけです。もう一人、いつも帽子をかぶっていらっしゃる女性がおられますが、彼女がファッションとしてそれをやっているのか、それとも聖書的な理由でそれをやっているのか、そこはよく分かりません。
Read more

なぜかぶり物?理由その4 【教会の慣習】

Biblical Case for Head Coverings

「パウロはこの(かぶり物の)慣習を全ての教会に教え、それに従うよう求めていました。この最後の箇所で、彼は普遍的なクリスチャンの慣習に訴えることで、その他全ての議論を封じています。」
メアリー・A・カスィアン(南バプテスト神学大学 女性学) 1) メアリー・カスィアン – Women, Creation and the Fall (Crossway Books, 1990) – p 100.

「言い伝え(traditions)」という言葉をきくと私たちは、それは――聖書には存在しない人間による作り物のことだと考えることが多くはないでしょうか。

言い伝えというのは有益である場合もある(もしくは少なくとも有害ではない)かもしれません。しかし何といっても神がそれを掟として命じておられないのですから、私たちもそれを命じてはなりません。

ですから、かぶり物についての理解においては、次のことを問う必要があります。「これは言い伝えでしょうか、それとも掟でしょうか」と。それでは最初の聖句をみてみることにしましょう。

さて、あなたがたは、何かにつけて私を覚え、また、私があなたがたに伝えたものを、伝えられたとおりに堅く守っているので、私はあなたがたをほめたいと思います。Ⅰコリント11:2

この「あなたがたに伝えられたもの(“traditions”=言い伝え)」の定義付けはされていませんが、かぶり物はそういった言い伝えの一つであったのでしょう。どうして私がそう考えるのかとお尋ねになりますか?

みてください。かぶり物に関するこの教え(1コリ11:3-16)は、対照的な二つの言明の間にサンドイッチのように挟まれています。 Read more

References

1.
 メアリー・カスィアン – Women, Creation and the Fall (Crossway Books, 1990) – p 100.

Send this to a friend