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祈りのベールの証し:アリソン・チャップマン

Head Covering Testimonies

名前:アリソン・チャップマン

年齢:44歳

所在地:英国、オックスフォード

祈りのベールを始めた時期:2010年


Covering Testimony: Alison Chapman

1)読者のみなさんに少し自己紹介してください。

アリソンと申します。私は宣教師としてセイシェル(*インド洋西部にある島群からなる共和国)で福音宣教の働きについていた両親と共に、70年代をインド洋西部の島で過ごしました。

幼い時から主のことは知っていましたが、心からの信仰というよりは頭での知識といった感じでした。

私が主の愛に本当に出会ったのは、20代後半、バイブル・カレッジで訓練を受けていた時でした。そのカレッジにおいて、主は抜本的に私を変えてくださり、「より深く主と神の真理を知りたい」、そして「この御方のことを他の方々にも紹介したい」という願いを自分の内に起こしてくださったのです。

日々の生活の中でイエスさまにお従いしていくということ、全身全霊で主を愛すること、そしてこの良き知らせを分かち合うこと、、そういった事が私の心にあります。

主は私の心にイスラエルに対する思いを置いてくださり、私はかの地でさまざまな働きに関わる機会をいただいています。

私は41の時に、結婚しました。(結婚を長く待ち望んでいた)その間の歩みは時に険しく、痛みを伴うものでしたが、神様は敬虔でまっすぐな男性を私のために備えていてくださったのです。私は主人から多くのことを学んでおり、彼の妻であることに喜びを感じ、感謝しています。

 

2)どこの教会に通っていらっしゃいますか。お話ください。

私たちはオックスフォードにある小さなペンテコステ派の教会に通っています。主人と結婚したのもそこの教会ででした。

それ以前には同じくオックスフォードにある大きな教会で奉仕しており、そこから海外宣教への働きに遣わされました。その後、英国に戻り、結婚しました。

主は私たち夫婦をこの小さな教会に導かれたのですが、そこの牧師夫妻は主を愛し、まごころから仕えておられます。

 

3)どのような経緯で祈りのベールを始めるよう導かれたのですか。

70年代後半に、家族と共にセイシェルから帰国した後、私たちはブラザレン教会に通いました。そこの教会の姉妹たちの多くは礼拝時に、帽子をかぶっていました。

そんな彼女たちを見て、私は「律法主義的だなあ」と思い、教会の中における被り物というイシューに関し、心の中で軽蔑するような態度をとるようになりました。

20代後半、バイブル・カレッジに通いましたが、教会の中での女性の役割に関し、私たちは対等主義的な(Egalitarianism、福音主義フェミニズム)見解しか教わりませんでした。

私は対等主義を支持する論文を書き、その中で(批判の意味を込めて)被り物のことにも触れました。その中で私は「被り物というのは文化的なものであり、今日には適用されないものである」と論じました。

それまで一度も「ベール擁護派」の見解を聞いたことがなく、また私の心はこの聖句に対する他の見解に対し閉ざされていました。

30歳になるまで、私はこの世およびフェミニズムの影響下にありました。実にこの思想によって、私はわれ知らず、影響を受けていたのです。

30代になると、私と主との関係は深まっていき、より深く主を知り、お仕えしたいと願うようになりました。その後、しばらくの間、私はイスラエルで働いたのですが、そこで、ベールのクリスチャン女性たちを目撃したのです。彼女たちは教会の中でも、また社会の中でも、ベールを被っていました。

イギリスに戻った後、私はある男性(後に主人となる人)に出会い、その人が私に祈りのベールのことを少し話してくれました。折しも主はこの時期、私にへりくだることを教えてくださっていました。

そしてそれまで自分が正しいと思い込んでいたいくつかの聖書箇所が実は間違った解釈だったのではないか、という気づきを与えてくださっていたのです。

ですからこの兄弟に祈りのベールの事を指摘された時、「もしかしたら、この箇所においても、従来の私の聖書解釈は間違っていたかもしれない」と心を開いて聞くことができました。

そしてもう一度、この箇所を調べてみようと思いました。また、デリック・プリンス、ウォッチマン・ニー、W・ヘンダーソンなどの論文にも目を通しました。

そして私は気づいたのです。――それまでの自分の思い込みとは裏腹に、ここの聖書箇所は実は「難解」ではなかったということを。

目から鱗の思いがしました。なぜ被り物をしなければならないのか、その理由が目の前の聖句に、ちゃんと書かれているではありませんか!

それに「御使いのためにです」というのは文化的なものではないのです。つまり、祈りのベールというのは今日のクリスチャン女性にも適用されるべき神の掟だったのです!

 

4)ベール姿で礼拝に初めて集った時、どんな心境でしたか。

最初にベールを被ったのは、友人と共に祈っている時でした。そしてその時の祈りは力強いものでした。

なぜなら、その場で主は、自分たちがこれまでの人生の中で、いかにフェミニズムに縛られていたのかという啓示を与えてくださったからです。その結果、私も友人も共に悔い改めに導かれました。現在、私は教会内外で、祈りや預言をする時、ベールを被っています。

確かに一人で祈りのベールを実践するのは大変なことですが、少しずつ、その大変さに慣れてきています!

でもやっぱり、他の人がどう思っているのか心配してしまう自分がいますし、それに、ベールを始める前の自分を知っている旧友たちの前でベールを被る時など、かなりしんどさを覚えます。

でもこの点における御言葉の真理について私の中には内的確信が与えられており、神の御言葉に従いたい、主をお喜ばせしたいという願いから、私はそれを実践しています。

それでも、やっぱり時としてかなり困難を感じる時があります。

でもそんな時は十字架に架かってくださったイエス様の犠牲を思います。そうすると、ベールのことなど、主の払ってくださった犠牲に比べればほんの些細なことだと思えます。

また励まされることに、しばらくしてから、うちの教会の牧師夫人もまたベールを始められたのです。しかもその大胆さにおいて彼女は私に勝っており、その意味でも以前に比べ、実践しやすくなったのです。

 

5)どんな被り物を使っていますか。そこで購入していますか。

現在、イギリスのどこででも、私たち女性はスカーフを買うことができ、便利です。私は高価でないスカーフを買い、それを首に巻き、必要な時にそれで頭を覆い、祈っています。そのように、外にいる時は長いスカーフをしていることが多く、家ではたいてい、それよりも小さい三角形のスカーフを用い、祈っています。

Would you like to share your story of how you came to believe in head covering? Tell us about it here.

祈りのベールの証し:アッシュリー・ブラウン

Head Covering Testimonies

名前:アッシュリー・ブラウン
年齢:22歳
所:米国ニューヨーク州ロングアイランド
祈りのベールをつけ始めた時期:2013年9月


Covering Testimony: Ashley Brown

1)読者のみなさんに、自己紹介してください。

私は22歳で、ニューヨークのブルックリン生まれ、ロングアイランド育ちです。

私の趣味は、作曲、ピアノ奏楽、バスケ、それに楽しいこと何でも好きです。私はオープンで社交的な性格です。地元に住んでいる人をみんな知っているというタイプの娘ですが、本当の友だちといえるのは数人です。

私はイエス様が大好きで、主を喜ばせたい、主に仕えたいというのが自分の唯一の願いです。

私の家族はすてきな人たちです!うちはホームスクーリング家庭です。母は賢い人で、主に熱心に仕えています。私の継父は現在うちの教会の賛美リ―ダ―をしています。父はやさしくて、穏やかで、心のひろい人です。私は7人兄弟の真ん中ですが、兄弟仲がすごくいいです。

私は常に宣教に対する情熱がありました。そして今年から中国宣教に関わり始めています。でも何か特別なことをしているわけじゃありません。行く先々で御言葉を分かち合い、世の中のものから聖別された者として、自分の信仰についてお証ししているだけです。

にもかかわらず、神様は働いてくださり、私を変えてくださっています。そのことを主に感謝しています。 Read more

主人が「ベールを被るというのはやめてほしい」と言っています。その場合、どうすればいいのでしょうか。

Head Covering Questions
相談:主人が私に「ベールを被るっていうのはやめてほしい」と申しております。私自身としては、これが聖書的な掟であり、遵守する必要があると信じているのですが、、、でもその一方で、祈りのベールというのが本来、「主人に対する私の恭順さ」を象徴するものであるということも分かっているんです。この場合、私はどうしたらいいんでしょう。

これは非常に難しい状況です。この事に関し、まず私は二つの異なる意見をあなたにご提示しようと思います。その後、何かあなたの助けになるような具体的な案をこれからご一緒に考えていけたらと思います。
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トロンデイム・インターナショナル教会での被り物(写真つき)

Head Covering in Trondheim International Church
この実況レポートは、以前にご紹介したロビン・バッサム師の証しの続編に当たります。バッサム師は、ノルウェーにあるTrondheim International Churchという福音主義教会で牧会していらっしゃいます。

私は自分たちの教会における被り物の実践について、今アップデート記事を書いています。2014年9月、私たちは週末に修養会に行き、そこで相補主義と対等主義について皆で話し合いました。その結果、私たちの教会は、リーダーシップに関する相補主義的立場を公に受け入れることになり、その事は教会の信仰告白・信条の欄に書き込まれました。

女性の被り物についてですが、私たちは四週に渡り毎日曜、1コリント11:1-16の箇所から説教しました。この説教シリーズの終了後、私たちの教会は、「私たちは何を信じているか」という教会の小冊子の中に、次のような内容を追加しました。

女性たちの被り物について:祈り、説教ないし教えが執り行われている教会の集まりの場において、女性は、聖書の御言葉によって、被り物を着けることが求められていると私たちは信じています。これは1コリントへの手紙の11章1節から16節の箇所で明確にパウロが教えていることです。そしてこういった聖句の正当性を無効にするような他の聖句は聖書中、ただの一節も存在していません。この教えは、神学的かつ普遍的な教えです。またこれは時代を超えた掟であって、文化的だとか、地理的に制限されたものだとか、一時的なものではありません。私たちはこれが(既婚・未婚にかかわらず)全ての女性に求められている聖書の要求だと信じています。ただし、ここでことわっておきたいことがあります。それは、私たちはTIC(Trondheim International Church)の集まりの場で女性は被り物をするべきであり、その実践を確かに強く勧めてはいますが、これは救いに関する事柄ではないということです。よって、私たちはこの事をみなさんに押し付けるようなことはしません。TICにいらっしゃる女性のみなさんは、被り物をするかしないか、各自それぞれが選択することができます。TICは女性の被り物のテーマに関し、非常に明確で包括的な教えをしています。65ページに渡るロビン・バッサム牧師の、被り物に関する手引き書が教会にあり、お求めの方には差し上げております。 Read more

被り物は「重箱の隅をつつくような」教えでしょうか?かえって福音の妨げになっているのでしょうか。

Head Covering Objections
反論:被り物は「重箱の隅をつつくような(“majoring in the minors”)」教えです。それは聖書に一回しか言及されていない曖昧な箇所を持ち出して、そこからある慣習をこしらえるような、そのような無理のある教えです。こういう事を議論するより、私たちはむしろ、飢えている人々に食料を提供するとか、福音を伝えるとか、そういうもっと大切な事に関心を注ぐべきだと思います。

被り物についての聖句(1コリント11:2-16)は、「あいまいで不明瞭な聖句」という範疇に入れられがちな聖書箇所です。ある神学者は言いました。「ここの被り物の箇所と、Ⅱテサロニケの不法の人の箇所は、新約聖書の中でも最も不明瞭な聖句の内に数えられます。」しかし果たしてそうなのでしょうか。

ここの聖句は確かに活発な議論の余地ある箇所であり、さらなる熟考と綿密な検証を有するような質の高い反論も存在します。しかしここの聖句が「あいまいで、不明瞭」?

真に不明瞭な聖句というのは、その議論が続けて展開されていなかったり、説明されていなかったり、もしくは擁護されていないような箇所のことをいいます。そして、そういった漠然さゆえに、その箇所の意味を識別することが容易ではないのです。

例を挙げましょう。例えば、1コリント15:29(死者のためのバプテスマ)、1テモテ2:15(女性は子を産むことによって救われます)、1コリント11:10(「御使いたちのために」被り物をする)などは一般に不明瞭な聖句とみなされています。

被り物の箇所にも、不明瞭といわれるこの聖句(1コリ11:10b)が一つ出てきますが、箇所全体としてははっきりしており、そこに不明瞭さはありません。

曖昧な聖書箇所というのは、たいがい、一聖句ないしは二聖句の短い箇所です。それに対し、被り物の箇所は、実に15節に渡って、しかも連続して書かれています。

また曖昧な箇所というのは、言及されてはいても、説明のない箇所である場合が多いです。一方、被り物の箇所においては、パウロは「しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたい、、」(1コリ11:3)と語り、その後、このシンボルの背後に存在する意味を分かりやすく解き明かしています。

さらに、曖昧な聖書箇所は、「なぜそうしなければならないのか」という理由説明なしに掟が述べられているような場合が多いのです。しかしそれとは対照的に、被り物の箇所においては、「なぜ女性たちが被り物を着けなければならないのか」という理由がしっかり説明されています。

〔その理由に関しては、創造の秩序(3、7-10節)、自然の証言(14-15節)、御使い(10節)、使徒の公的教え(2節)、神の諸教会における慣習(16節)をそれぞれご参照ください。〕

ですから、被り物は曖昧どころか、新約聖書の中でも際立って明確に擁護がなされているシンボルなのです。 Read more

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